稀な事象と災害による空港の閉鎖 -関西国際空港と新千歳空港が直面した問題を顧みて- <下>

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今回、関空の1本はダメだったものの、関空と新千歳ともに、滑走路は長期間の閉鎖にはなりませんでした。空港の滑走路は象徴的ですので、このニュースのリリースは多くの旅行客の人に「飛行機は飛べるんじゃないか」という楽観的な期待を持たせることなります。ターミナルビル、これは事後的に大きな被害があることがわかったのですが、いったいどのような事態になっているのは、多くの人にはわかりませんでした。

そもそも電気が落ちていれば、ICT化の進んだ現在、航空会社のカウンターでチェックインすらできません。LCCを含め、競争が激化している航空会社は、相当、人員をスリムにして、搭乗手続きなどの空港内業務を行っています。災害が起きたからと言って、そこに専従で対応できる余力はまずありません。飛ぶのかどうかの電話の問い合わせは殺到し、窓口対応とあわせ、その対応に追われます。

この辺の情報は、テレビでのニュース報道やネット上の情報で確認できれば、その点の空港での負担は軽減されます。新千歳の場合は、道内が全面停電でテレビ放送はあったようなのですが、テレビを見ることができませんでした。ネットはすぐに復旧したようですが、すぐにスマホのバッテリーは切れ、情報収集ツールとしてはすぐに役に立たなくなりました。ネット上の情報も、どこが信頼すべき情報なのかの特定も難しい部分がありました。次第に携帯の基地局も電気が尽きてダウンしていき、電話もかかりにくくなりました。
これが日本語に不慣れな訪日外国人であれば、情報が皆無なのと同じです。混乱しない方が無理というものです。それでとりあえず、空港へのアクセス鉄道の乗り場である駅に行くのですが、そこではまったく空港で何が起きているのかはわからないのです。外国人観光客向けの案内カウンターでも同様の事態だったようです。真の情報は、関係者が集う“場”である空港にあったのですが、その発信も利用客への指示も錯綜したままでした。

古くは内戦とかが起こりうる政情不安定な国では、緊急事態が生じた場合、急ぎ空港に集合せよという不文律がありました。これは離脱用の飛行機が到着したらすぐに乗ることができるという時間的節約の意味が大きかったと思いますが、緊急時には人が集まる場所を空港に限定し、そこで持ち寄る情報を集め、共有することを定めたルールとして理解することもできます。刻々と変わる事態の情報はあっという間に古くなりますので、紙にしろネットにしろ文字媒体の信頼度は非常に低くなります。緊急時には、人を集わせ、正しい情報を共有する、これが原則になります。

訪日外国人としては、異国で直面した大規模な災害です、大きな不安に直面します。まず帰国の手段がある空港にという意識は極めて当然です。しかしそこへのアクセスは絶たれ、情報すら得られないわけです。東日本大震災の時にも、この点は大きな問題となったのですが、今回は空港機能のダウンということで、このことがより鮮明に現れました。

今回の関空と新千歳の問題は、災害の発生に伴う電気と空港アクセスの途断が顕著な特徴でした。これを非常に稀なケースと考えるか、それともそうでないと考えるのかは、今後の対応の大きな分かれ目となります。非常に稀なケースとして考えるのであれば、対応することは現実的ではありません。あらゆる稀なケースを想定することはできませんし、それには無限大のコストがかかりますので、まず対応することはできません。そうではないと考える場合、どのようなことが対応可能か、最後にそこを考えたいと思います。

空港が災害に直面した場合、まず欲しいのは確実で、信頼できる現状の情報です。しかし多くの人は空港へのアクセスが絶たれていて、そこに行くことができない、この制約は念頭に置きたいと思います。空港、正確には運航の可否ですが、その情報はいろんな主体に分散されています。いろんな主体がそれぞれ発信したら、それを読み、評価するのに多くの労力を要し、また判断もばらついてしまいます。このような場面では、統合的に情報を集約し、発信する主体が必要です。パブリックの必要性です。これを国や航空局なりの公的主体が担うか、それ以外の主体が良いのかは多くの議論があるでしょうが、そのような“場”の初期的な設定において、公的な関与は必要です。

この情報集約の“場”は、停電の可能性と日本の空港アクセスの現状を考えると、同じ情報がリンクする、ネット上の“場”と地理的な概念の“場(センター)”の2つとなるのではないかと思います。訪日外国人が日本で災害に直面し、困惑した場合、まず飛ぶべきサイトを決め、それを見る媒体がダウンしたら、「都心の○○に行けばわかる」というポイントを決めるということです。あせって空港に急ぐ必要はないという安心感を提供することです。

この“場”の設定は重要な制度デザインですが、大きな弱点があります。それは真の情報、リアルタイムな情報は、専門的な人が集う空港、その現場にあるということです。物理的に離れると、情報の精度は悪くなりますし、そもそも情報自体が劣化します。ここの補完、もしくは利用者窓口である情報提供センターと現場の役割分担、これは入念な検討が必要でしょう。

東京オリンピックを控え、一層の訪日外国人の誘致が期待されています。東京羽田空港は、その最大の入国拠点でもあります。そして残念なことに、東京は遠くない将来、大規模な地震の発生の可能性が指摘されています。災害の発生に伴う空港機能のダウンを非常に稀な事象と考えるのか、それともそうでないのか、これは日本経済にとって非常に重要なことかと思います。

空港の閉鎖、滑走路もターミナルビルも同時に全面的にクローズというのは、まずこれからもほとんどないでしょう。利用客のトラフィック・コントロール、それは情報提供が主たる手段ですが、航空サービスの利用が一般化、大衆化、グローバル化した現在、そこをどう考えるかだと思います。対応はできると思います。

通常時の滑走路の閉鎖、沖縄の那覇空港の台風時対応のように、ままある事態と捉えることができれば、自ずからそこに向き合う体制づくり、それは情報伝達を含みますが、そういう力が日本にはあると思います。訪日外国人に対して、そういうおもてなしの発想があっても良いのではないか、今回の関空と新千歳が直面した問題に思いました。
<下>おわり

文章:澤野 孝一朗

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