
昨年からこちらのコラムでは、ノーベル経済学賞の発表に際し、解説とそのエッセイが掲載されるようになりました。今年はオリバー・ハートとベント・ホルムストロムが受賞しました。受賞理由は「契約理論への貢献」でした。契約理論はミクロ経済学の一分野(?)ということで、今年は私(澤野)に係が回ってきました。難しいことは書けませんし、もうすでにネット上にはいくらもその解説記事が出回っています。同じことを書いても仕方ありませんので、契約理論をめぐって、簡単な話でその考え方を紹介できればと思います。
今回、せっかくの機会ですし、直接、ノーベル賞のサイト(https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/economic-sciences/laureates/2016/)に飛んで、その受賞理由を読んで見ました。私は知らなかったのですが、ノーベル財団、面白いことをやっているのですね。トップページに簡単な質問が用意されていて、Yes/Noでチェックするようになっています。これ集計して、何かに使うのでしょうか、その辺はわかりませんが、質問は
2016 ECONOMIC SCIENCES PRIZE QUESTION
Did you know that contract theory is used when designing incentive packages for workers?
となっています。上記のcontract theoryは、今回の受賞理由となった契約理論のことです。質問はざっと言うと、「働く人がやる気になる仕組み、その設計に契約理論が使われていることはご存知?」、そんな感じです。これ、どうしてそんなことを訊くのでしょうか。実は「やる気」、これが契約理論では重要な意味を持っています。このエッセイでは、この点を中心にお話できればと思います。
いま大きな川沿いに肥沃な農地を持っている農家の人を考えます。尾張名古屋なので木曽川、雰囲気を出すために江戸時代にしましょう。この農家の人は、おいしい野菜を作っています。もちろん自分で食べるためですが、着る物や食器、油とか自分で作れないものは市場で買わなければいけません。市場で物を買うためにはお金が要ります。このためこの農家の人は、自分で食べる分を除いて、すべての野菜を市場で売って、お金を手に入れます。現金化ですが、誰しも自分の作った野菜は最も高く売りたいものです。野菜が高く売れるのは、新鮮であり、美味しいことです。この農家の人は、一生懸命に努力して野菜を作り、それを売って、最も高い販売収入を得ようとします。自分の努力がそのまま成果(この場合は販売収入)につながる、それで自然と最大限に努力する、これが市場経済の基本にあります。
この農家の人はやり手で、人を雇って、仕事を分担し、手広くやることにしました。分業、組織の登場です。いま農家の人はオーナー経営者となり管理的業務のみをやり、雇った人は農作業をして、市場に売りに行く係にしましょう。この雇われた人は、オーナーの(元?)農家の人並に働くでしょうか、もしくはそれだけの努力をして成果を出そうとするでしょうか。この問いに挑戦したのが契約理論です。
基本的な考え方は、農家の人と雇われた人の間で、明示的な契約を結び、それに応じて報酬を支払うことです。ただし契約理論では、ここに重要な要素を明示的に投入します。それは雇われた人の努力です。努力は当人以外には観察できず、契約不履行として裁判で争おうとしても、努力自体(努力不足)を立証することはできません。そしてこの関係性、組織と言っても良いと思いますが、雇われた人の努力を上手く引き出すことができないと、高い成果を期待できないのです。
じゃあそれなら完全出来高制、収穫した野菜(販売収入)の一定割合を雇った人に渡せば良い、そういうことも考えられるかもしれません。確かにこの仕組み、良いときは良いと思います。天候が良すぎて豊作貧乏の時、雨腐れして売れる野菜がなくなった時、はたまた川が洪水になって野菜が全部ダメになってしまった時、雇われた人は何ももらえません。そんなことがあっても、やる気を失わず、働き続けるでしょうか。世の中は不確実性に満ちています、このリスクを考えることも重要になってきます。
さらに問題を複雑にするのは、オーナー経営者である農家の人は、あらゆる事態、可能性を想定して、その取り決めを契約に書くことが出来ないという現実的な制約があります。農作業の場合、どのような場合に水を入れ、病害虫の駆除をし、台風の到来を予測して刈り入れ時期を決める、重要な意思決定が無限にあります。市場で売り切りために、値引き販売するかの権限をどうするかの問題もあります。このような可能性をすべて想定して契約に盛り込むことはできません。雇われた人は、契約に書かれていないことをやる必要はありません(また契約違反ですのでやることができません)。このような契約社会は著しく効率を下げ、多くの問題を発生させます。
この解決策として、契約では大雑把な一般的取り決めのみを書き、何か問題が発生した場合には当事者同士で話し合い、最終的に誰の権限や判断で物事を進めるということのみを決めておく契約の方法があります。これを不完備契約と言います。この契約形態は日本で多く活用されていると思いますが、非効率を防ぎ、人々のやる気を引き出す側面を明らかにした、この点を明らかにしたが契約理論です。
私は「契約理論」、もしくは「組織の経済学」に強い関心を持ち、またいまでも持ち続けています。もう長くなりましたので、このきっかけや理由は省略したいと思いますが、ただ一つだけ思うことがあります。現代の組織に生きる人はやる気を失っている、やる気を削がれる仕組みに満ちている、サラリーマン的に言えば「組織はどこでも腐ってる」、これを前提にした分野のように思います。悪いものを見たが故に、良いものがわかる、そういうことのような気がします。こういうことはこれから社会に出る大学生には伝えにくいですし、社会に出たら忙し過ぎて、もう契約理論を知ろうなんて気にならないと思います。おまけに契約理論、勉強するには概念もそうですが、数学的にも大変なので・・・
タイトルの見出しは、1981(昭和56)年、当時阪神タイガースの投手だったエモやん(江本猛紀氏)の有名な一言です。「ベンチがアホやから野球がでけへん」、監督が無能だからプロの仕事ができないという意味です。彼はこの一言を球場のロッカールームで発したとされ、退団に追い込まれます。このエピソード例は伊藤秀史先生(一橋大学)の「商学部生への経済学のススメ」(ネット上で読むことができます)に出てきます。当時、このエモやんの事件はとても衝撃的でした。いま振り返ると、日本で始めて「インセンティブ問題」の存在を大々的に明らかにした事件ではないかと思います。そして組織に属する人は、この一言を発すると、組織を追われることになる、それを強く教育した社会的事件だったのではないか思います。
もうすいぶん前だと思いますが、会社の社長さんや経営者の方とお知り合いの多い経営学の先生とお話していて、知ったことがありました。その先生がおっしゃっていたのですが、ある会社の社長さんは「自分の会社に自分が百人いればいい、サイボーグみたいに」と何かで言われていたそうです。その場にいた方々は苦笑しただけだったのですが、私は「あっエージェンシー、インセンティブ問題、あるんだ、それ」ととても新鮮に思いました。社長さんの側からすると、雇っている人が思うように働いていない、そういう実感があるのかもしれません。
現代の日本は、企業に関わらず、効率性、生産性の向上が厳しく叫ばれ、日本経済復活のためにもそれは求められています。そこで用いられる手段はやった分だけ貰える、先にあった完全出来高制への接近です。これを成果主義とも言う向きもあります。これは「契約理論」とは関係がなく、その応用や活用でもありません。ノーベル財団が今年、用意した質問はかなり意味深ですが、日本は「そういうのは知らない。活用なんてぜんぜんしていない。だから回答不能」の回答が正しいと思います。Yes/Noのチェックはできないのではないかと思います。
組織で働く人は、「ウチは腐ってる」と愚痴りながらも、エモやんのようにはなれない、やる気を削がれることばかり・・・社長さんは社長さんでそれを思い悩んでいる。どう見たって日本の組織は、効率性を改善する余地が多くあります。芳醇な「契約理論」の世界は、その解答をお持ちして待っております。今回のノーベル経済学賞の受賞によって、日本中の関係性や組織に悩める人々が「契約理論」に関心を持ち、そのヒントの一助になれることを期待して、今回のノーベル経済学賞を祝したいと思います。
文責:澤野孝一朗;経済学部広報委員会