自著を語る #1 「森林資源の環境経済史:近代日本の産業化と木材」(山口明日香著)

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yama_2016s「森林資源の環境経済史:近代日本の産業化と木材」
  山口明日香著 
  2015年12月 
  慶應義塾大学出版会

  


Q1.ご著書の内容についてお話しいただけますか
本書は、経済と環境の関係を歴史的に解明することを目的に、明治期から戦時統制期までの日本の産業化を森林資源の利用という視点から考察した研究書です。
普段、木材が何に利用されているかを意識することはあまりないと思いますが、これまでの経済史や経営史の研究でも、木材が主役になることはほとんどありませんでした。しかし、木材は、古くから世界各地で資材や原料、エネルギーとして広く利用されてきました。近代の日本では、たとえば道路・河川・港湾建設のための土木用材、鉄道の枕木、炭鉱の坑木(支柱材)、電信・電話や電力設備の電柱、さらに紙幣・ハガキ・切手・教科書などの紙パルプ原料などに利用されました。つまり、近代日本の産業化において木材は、交通・通信・金融・教育などのインフラ整備とエネルギーの安定的供給という重要な役割を担いました。近代日本の産業化は、森林資源に強く依存して進展したのです。しかし、木材は急速な需要の増加に対応できない自然資源なので、産業化の進展の結果、終戦時までに伐採可能な日本の森林はほとんど伐り尽くされてしまいました。
本書では、木材を需要する産業として鉄道業、電信事業、炭鉱業、製紙業を取り上げ、各産業においてどのように木材が利用されたのかを経済史的かつミクロ的に考察しています。こうした「環境経済史」の分析を通じて、産業発展と森林破壊の関係を解明し、木材を主役にすえた日本の産業化を描いています。

Q2.ご自身からみてご著書の一番の成果は何でしょうか
「環境経済史」という新しい研究領域を開拓したこと、というのは言い過ぎかもしれませんが、歴史研究において重要でありながら研究蓄積の非常に薄かった「環境経済史」を大きく進展させることができたのではないかと思っています。これまでの経済史や経営史では、産業化が自然環境との関連で議論されることはほとんどありませんでした。また、近年盛んになっている環境史では、実証的なミクロ分析が手薄でした。それに対し、環境と経済の関係を歴史的に追求する「環境経済史」研究をめざした本書では、産業化における自然環境の重要性を、産業化における森林資源の利用という視点からミクロ的かつ実証的に解明しました。同時に、従来の研究史にはなかった新しい日本の産業化像を提示できたのではないかと思っています。

Q3.もっとも苦心された点は何でしょうか
苦心したというか、時間がかかったのは、序章の執筆です。序章は、研究のフレームワークを提示する部分ですが、研究者の問題意識や研究の意義、アプローチなどが問われる部分なので明確に提示する必要がありますし、何度も書き直しました。ベースになっている博士論文の序章は、まったく原型をとどめないものになってしまいました…。もちろん、歴史研究に必要な資料の収集と解読にも、時間はかかりました。根気のいる作業ですが、資料を読むのは好きでしたし、また指導教授からできるだけ現地を歩くよう指導をうけていたので、資料収集をかねてフィールドワークにもよくでかけました。

Q4.この著書の先生のご研究における位置づけを教えてください
本書は、私の「環境経済史」研究の第一歩として位置づけられます。私の問題関心は、「経済と環境の関係」にあります。みなさんもご存知のように、経済発展にともなって環境問題は深刻化していますが、現在の環境問題は、過去の人間の経済活動の積み重ねの上に顕在化したものです。本書で、近代日本の森林資源の利用を考察したのは、こうした経済と環境の関係を経済史的に解明したいと考えたからです。「環境経済史」研究はスタートしたばかりで、今後は、本書で十分に考察できなかった森林伐採にともなう自然災害や世界の木材貿易、さらに森林資源とは異なる特徴をもつ水産資源や水資源、鉱物資源などの資源利用も取り上げていきたいと考えています。残された課題は多いですが、「環境経済史」の発展の可能性を強く感じています。

Q5.その他、読者の方に伝えたいことがあれば何でもおっしゃってください
現在の日本の森林は、約4割が人工林です。これらの多くは、戦時・戦後の森林荒廃をうけて1950〜60年代に植林されました。日本の山林は伐採の困難な急傾斜地が約半分をしめるので、4割という数字は、伐採可能な森林の大部分がそれまでに一度は伐採されていたことを示しています。現在、人工林は伐採期をむかえていますが、外材や鉄鋼材、コンクリート、電力などの利用が増加した結果、手入れされずに放置され、生物多様性の乏しい「緑の砂漠」と化しています。また、大量の花粉をまき散らし、花粉症の原因にもなっています。本書を読んでいただけるとわかるように、こうした広大な人工林をつくらなければならなかった主要な要因は、近代の産業化にあります。枕木に電柱に坑木にと不思議なものばかり取り上げていると思われるかもしれませんが、一見取るに足らないような地味なものたちが日本の森林を大きくかえたという驚き、おもしろさを感じていただければ嬉しいですし、同時に「危機」におちいっている現在の日本の森林についても、関心をもっていただける機会になれば嬉しいです。


山口明日香
2011年、慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了、慶應義塾大学先導研究センター研究員を経て現職。学部担当科目は経済史 経営史。大学院担当科目は日本産業史。

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