G7からG20へ移る国際政策協調の舞台

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2008年11月14日、15日に第1回20か国・地域(G20)首脳会合は米国ワシントンD.C.にて開催された。先進7か国(G7)と新興経済国12か国から各国の首脳と、欧州連合から欧州委員会委員長の合計20か国・地域の首脳らが出席し、世界金融危機への対策、将来同様の危機が発生することを回避するための方法が討議された。世界金融危機とは言うまでもなくサブプライムローン問題をきっかけとした2007年のアメリカの住宅バブル崩壊に端を発した国際的な金融危機のことである。

これまでこうしたミクロ的、マクロ的を問わず金融問題に関する政策協調の討議は、主としてG7首脳会合で行われてきた。たとえばアジア通貨危機に関しては第24回(1998年5月)、インフレを伴わない経済成長や景気回復については第16回(1990年7月)、第15回(1989年7月)、第12回(1986年5月)、第11回(1985年5月)、第10回(1984年6月)、第9回(1983年5月)、インフレ抑制に関しては第6回(1980年6月)の、G7首脳会合で討議された。世界金融危機への政策対応に関して、G7のみならずロシア(1998年より主要国)、中国、インド、ブラジル、メキシコなどの新興経済国の首脳会合で討議されたことは、首脳会合の歴史に鑑みると極めて異例であると言える。

第1回G20首脳会合はフランス大統領ニコラ・サルコジとイギリス首相ゴードン・ブラウンが働きかけたことで開催にこぎつけた。彼らはG7首脳会合の後身である主要8ヶ国(G8)に、新興経済国首脳を加えたG20の開催を画策した。彼らが新興経済国を首脳会合に迎え入れようとした背景には、新興経済国12ヶ国の世界経済への影響が、G7諸国に対して相対的に上昇したことが考えられよう。通貨危機への対応が大いに議論された第24回G7首脳会議が開かれた1998年の時点では、新興経済国12ヶ国のGDPはG7のGDPの23.8%に過ぎなかったが、第1回G20首脳会合が開かれた2008年には、この比率は44.6%にまで上昇した。今日、国際政策協調を考える上で新興経済国12ヶ国は無視し得ぬ存在と言えよう。

G20の正式名称は「金融・世界経済に関する首脳会合」であり、金融サミットともよばれる。このことからも金融問題に関しては、先進7ヶ国、あるいはロシアを加えた主要8ヶ国だけで対応しきれなくなったことがうかがえる。また、G20の発足以降はG8の議題にも変化が見られる。第36回(2010年6月)では北朝鮮やイランの核開発問題、第37回(2011年5月)では核開発問題や日本の原子力発電所の問題、第38回(2012年5月)では石油市場や食料安全保障問題、第39回(2012年5月)では貿易や租税に関する問題が取りあげられた。先にも述べたように、G8では金融問題がしばしば取りあげられたが、G20発足以降は金融問題が取りあげられることは少なくなっている。一方のG20と言えば、第4回(2010年6月)では銀行税、第5回(2010年5月)では金融危機後の成長と金融規制、第6回(2011年11月)では国際通貨システム、第7回(2012年6月)では主要国以外からの国際通貨基金への出資、第7回(2013年9月)では急激な円安といった、もっぱら国際的な金融問題を主要な議題として取りあげている。

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            図:G20(左),G8及び欧州連合(右)

著者:岡野衛士
関連キーワード: 政策協調、金融問題
関連講義名: 金融政策論I、金融政策論II