東京地検特捜部が日産自動車会長のカルロス・ゴーン容疑者と代表取締役のグレッグ・ケリー容疑者を金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いで逮捕しました。今回の逮捕容疑が事実であれば、有価証券報告書という、会計のレポートについて虚偽の報告がなされたことになります。ここ最近、東芝や神戸製鋼など、大手の優良企業とされた会社の粉飾会計に関するニュースが世間を騒がせていました。
株式会社の資産あるいは利益は、法律上は株主が「それは私の財産だ」と主張できるものです。このように主張できる根拠のことを、ここでは財産権と呼んでおきます。株主は、会社の利益のうち、本来は自分自身が財産権を主張できるはずの部分を差し引いて、経営者にやる気を与えるために役員賞与を与えます。日産自動車において、ゴーン前会長には、この支払いの報告内容に関する虚偽の疑いがかけられています。株主との約束や株主からの期待を裏切ったことになります。
経済学者ダグラス・C・ノースは、経済発展を促す要因として「エンフォースメント」に着目しました。エンフォースエントとは、契約を遵守させる仕組みのことです。契約が裏切られやすい状況のもとでは、ビジネス契約を結ぼうとする人々は少なくなってしまいます。ノースは、裏切り行為を防ぐ工夫がどのように成り立っているかに着目して各国の経済の歴史を分析する視点を提示したのです[文献1]。
「こちらの言う通りのことを相手にしてもらう」ということなら、いくつかの方法が考えられます。極端な例ですが、奴隷制のもとでは、奴隷とされた相手に鞭を打つ恐怖をかざしていいつけを守らせようとします。ただし、こうしたかたちで約束を守らせることは倫理面で問題があります。加えて、そもそも体に苦痛を与えることを前提に仕事をさせるのは実はそれほど効果的ではないという研究成果もあります。それを怖がる相手は、成果が早めに顕著に現れる業務に神経を注ごうとする(そのため例えば長い年数がかかる作業には効果が現れない)というのです[文献2]。
人々を財産権侵害から守り、安心して契約できるようにする仕組みが整うこと、ここにノースは経済発展の基礎を見出したのです。司法制度が築かれることで財産権が守られる、このことにより人々は自由に自分の財産を蓄えたり利潤を追い求める活動に専念できるのです。契約を守らせるために自分自身で防止策を考えたり疑心暗鬼になってビジネスに消極的になる必要がなくなるのです。
財産権保護が経済を活性化させることはいくつかの実証研究で示されています。日本がとりあげられた研究としては、19世紀末から20世紀にかけての日本で、商法という法律のなかで株式会社の経営者の不正に対する厳罰が規定されてから多くの株式会社の株式が投資家の売買の対象とされるようになったことを示す論文があります[文献3]。
さきほど、株主から経営者への刺激を与えるための工夫として役員賞与を性格づけました。株式会社制度における役員賞与も、エンフォースメント面で裏打ちされた制度のなかで株主が経営者の経営努力を引き出すための歴史的な知恵だったはずなのです。日産自動車のゴーン前会長は、こうした株式会社制度の根幹部分を揺さぶる不法行為の疑いがかけられたのです。だからこそ、捜査を通じて事実関係がどのように判明するのか注視したいところです。
「あなたの財産権を裏切る行為は許しませんから、安心して財産権を有効に活かして下さい」と政府が保証していること、ここにエンフォースメント面で制度整備が進んだ経済の本質があるのです。法律や権利、あるいは歴史に関する勉強も、経済学の理解を深める上で多いに役立つのです。
文献リスト
1: North, Douglass C. (2005). Understanding the Process of Economic Change, Princeton University Press.
2: Fenoaltea, Stefano. (1984). “Slavery and Supervision in Comparative Perspective: a Model.” Journal of Economic History 44, 635-668.
3: Hamao, Yasushi, Takeo Hoshi and Tetsuji Okazaki. (2009). “Listing Policy and Development of the Tokyo Stock Exchange in Prewar Japan,” Takatoshi Ito and Andrew K. Rose, eds. Financial Sector Development in the Pacific Rim, The University of Chicago Press.
(文責:横山和輝)